不意を突かれて、無言のままあたしは目の前に現れた男性を凝視していました。
「…目力凄いね、なんかあった?」
よっぽどあたしはすごい顔をしていたんでしょうか。
遊び人風の彼でさえ、少し引いているようでした。
「え…あ、あの…」
無視すればそこで話は終わっていたと思います。
ですが、人恋しい気分だったせいか、あたしはつい口を開いていました。
返事にさえなっていませんでしたが。
もちろん、そこから先の言葉は出てきませんでした。
ですが、男性は断る様子のないあたしを見て、脈ありと思ったんでしょうか。
「あ、返事できるんじゃん。もし暇だったらさ、飯でもどう?」
ナンパでした。
ちゃんとした…っていうのも変なんですけど、ナンパをされたのはこの時がはじめてでした。
これがナンパか…他人事のように思いました。
「あ、あ…」
まるで自分が機械になったようです。まるで言葉が出てきません。
ですが、その時あたしは、何か、救われたような気分になったんです。
誰でもいい。
寄りかかれるものならそうしたい。
話ができるなら、気が休まるなら、この際もうなんでもいい。
わらにもすがる気持ちでした。
あたしは顔を縦に振りながら、必死で一言だけ「はい」と絞りだすようにいいました。
ナンパ師さんは怪訝な顔をしましたが、乗ってきた相手は拒まないようです。
「お、ノリいいね、じゃあ行こうか」
そして繁華街の奥の方へ歩き出したんです。
あたしは、まるでペットか何かのように、彼の後をついていきました。
ノリがいいっていうのはちょっと違うんだけどな、と、ぼんやり思いながら。
ナンパ師さんは、近くにあったオシャレそうな店に入りました。
あたしも慌てて後を追います。
中に入ると、カウンターと、申し訳程度の小さなテーブルが2つほど並んでいました。
見た感じ、小さなバーみたいなお店。
結婚前に旦那に何度かこういうお店に連れて行ってもらったことを思い出して、少しほろっとしました。
「お、おい、どうしたよ!?」
いきなり涙ぐんだあたしを見て、ナンパ師さんは慌てていました。
無理もありません。
「い、いえ…なんでもないです」
かろうじてそういって、あたしはカウンターに座りました。
「なんか、色々あるみたいだな、お姉さん」
少し憐れむような口調で、ナンパ師さんも隣に腰かけました。
「何飲む?」
「え、お酒ですか…?」
「少しは入れた方がいいだろ、たまには大事よ?そういうのも」
「そ、そうですかね」
「何があったかしらねえけどさ、おねーさん重すぎんだよ」
「あ…」
「俺みたいなのについてきたんだからさ、パーッといけよ、パーッと」
そういうものなんでしょうか。
遊びに縁遠かったあたしには、よくわかりませんでした。
でも。
あたしなりにちゃんとやってきたつもりでしたが、その結果が今の状態なんです。
そう思うと、そういうのもアリなのかな、と思いました。
「じゃあ…ジンライムをお願いします」
「あ、いきなり強いのいくねえ。飲める方?」
「はい…」
体質なのか、なぜかあたしはお酒にはかなり強いんです。
悪酔いした記憶があまりないくらいには。
だから、今まで飲んだことのある中で一番味がすきだったのを選びました。
マスターと彼は知り合いみたいで、グラスが出てくるまで彼は親し気に話しかけていました。
「じゃ、乾杯…ってちょっとあんた、震えてねえか?」
「い、いえ…それは」
多少雰囲気に慣れてはきたものの、やっぱり対人関係が苦手なのは変わりません。
別に怖いとかではなく、極端に緊張していたんです。
でもナンパ師さんはあたしが怖がっていると解釈したみたいです。
「そこまでビビることもねえだろ、別に変なモノとか入れさせてるわけでもねえんだから」
「お、おい、うちの店の評判落とすようなこというんじゃねえ!」
あたしの気を和ますための冗談のつもりだったんでしょうけど。
マスターはいいかげん呆れたようにナンパ師さんを見ています。
どうやら、ナンパ師さんはちょっとした困った客のようです。
でも、本気で怒っていない所を見ると、仲はよさそうでした。
「へんなもの…ですか!?」
「だから、入れさせてねえって言ってんだろ…信用できなきゃ飲まなくてもいいけど」
変なもの。たぶん、女の子が眠っちゃうとか、そういう類のもののことでしょう。
ぞっとしなかったと言ったらうそになります。
発想自体論外。
ただ、その時、別の理由でもあたしはぞっとしたんです。
このままいったら、自分はどうなるか。
ナンパって、行きつくところはHなんですよね。
あたしはその時まで、そのことを意識していなかったんです。
でも、少し考えた後、もうどうでもいいかと思いました。
旦那の顔を一瞬思い浮かべたんですが、それが砕け散るように消えていったんです。
むしろ、実は何か入ってたとしてもこの際構わない。
寝ても何してもいいから、しばらくこの、目の前にいるナンパ師さんに相手をしてもらいたい。
その時、あたしの中では、今の自分をどうにかすることの方が大きな問題だったんです。
「いえ…いただきます」
「そっか、じゃあ乾杯…お、飲むねーおねーさん」
「は、はい」
「おう、じゃあもう一杯いくか?」
「まだ飲み切れてないですよ…」
「ああ、よく見たらそうだな、悪い悪い」
単にお酒の飲みっぷりを褒められたにすぎないのに、あたしはいい気持ちでした。
人と会話できてる自分が新鮮だったんです。
そのうち、珍しくアルコールが回ってくるのが感じられました。
落ち込みが激しかった分、効果があったのかもしれません。
緊張がゆるんだのか、あたしは気が付いたら旦那のこともぶちまけていました。
普段だったら引かれるかもと思ってまず口にできなかったはずです。
ナンパ師さんが内心どう思ったかはわかりません。
ただ、うなづきながら話を聞いてくれるのが嬉しくて、あたしはどんどんしゃべり続けました。
視界の端で、マスターが居心地の悪そうな顔をいるのがわかりましたが、止まらなかったんです。
状況は何も変わっていないのに、目の前がパーって開けるような気がしました。
2時間くらいいたでしょうか。
清算をして、あたしたちは外に出ました。
入ったのがお昼前でしたから、まだ日は高かったです。
ナンパ師さんはマスターと何か言葉を交わして、あとから外にでてきました。
「さて、…どうすっかな」
「どうするって…?」
「いや…おねーさん、まさかここまで来て、この後どうするつもりだったかわからないわけじゃねえよな」
「…」
「それなんだよな…あーあ」
「え…」
「いや、あんな話聞かされちゃったらよ…なんか重いじゃんか、誘いづれえし」
「そうですよね、やっぱり」
「でさ、俺としては今日はもうどっちでもいい気分なんだわ。どうせ名乗る気はねえし」
「…」
「だから、おねーさんにまかせる。感謝しろよ、こんなこと言わねえからな普通」
「…」
また少し迷いました。
でも、今考えると、あたしの中で結論はもう決まっていた気がします。
もうすこし、この開放感を楽しみたかったんです。
「…行きます…たまにはパーッといくのも、大事なんですよね…?」
「…そっか、ま、それ俺が言ったんだしな…しっかしよ」
「…?」
「おねーさん、やっぱあんた、ほんとーに重いわ」
久しぶりに入ったラブホテルの部屋はシンプルで、ビジネスホテルといっても違和感がありませんでした。
枕元に置かれたコンドームだけが、ここはラブホテルなんだぞって主張しているようにも思えます。
「…まああれだ、あんたもここまで来たんだから、楽しんでいこうぜ」
やっぱりあたしは辛気臭い顔をしていたんでしょうか、ナンパ師さんはそんなことを言いました。
「そ、そうですね…」
「おねーさん元はいいんだからさ、顔つきって大事よ、大事」
「え…」
「何呆けた面してんだよ、かわいいって言ってんだよ、かわいいって」
くすぐったい感じでしたが、嬉しかったです、自分が認められたみたいで。
「で、どうする?風呂から入るか?」
「は、はい…」
あたしはもう言われるがままでした。
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